今日の実験ノート2

日々の調査研究

四万十川疾走調査(前編)

2018年になってしまった。

昨年のお盆に四万十川流域の疾走調査に行ったので、今さらだけど記録をつけます。

 

千年村や疾走調査についてご存知ない方は下の記事をみてもらえれば嬉しいです。

調査あらまし

調査場所はもちろん四万十川。奈良文化財研究所の惠谷さんや本間さんの活動(四万十川流域の文化的景観)をみていて勝手に憧れていた場所である。

四万十川疾走調査」と大袈裟な名前をつけてみたけど、河口から源流まで遡上しながら、四万十川に面している集落のかたちを見るという、ただそれだけである。
当初は素直に四万十川本流をなぞっていく予定だったが、四万十川マスター惠谷さんにアドバイスを頂いて、支流の梼原川を経由して源流に向かうルートにした。(四万十川らしさが見れるらしい!)

調査メンバーはランドスケープデザイナーの高橋さんと香川県庁の庄子さんと私。二人とも千年村ゼミのパイセンである。暇だったのか誘ったら快諾してくれた。

3日間のログ(高橋さんの)はこんな感じ。

f:id:chihirokobayash:20171231180145p:plain3日間のログ(黄色:1日目、水色:2日目、赤色:3日目)。最南のログが四万十川の河口で、最北が源流。

河口に着くまでが大変

被雇用者ゆえの辛さ。日程がお盆とバッチリ重なっていたので、飛行機が片道4万円。泣く泣く空路を諦め、前日の終電(新幹線)で岡山まで行った。アパホテルに高橋さんと宿泊(良心価格)、翌朝 岡山駅から高知駅に向かった。瀬戸内海を渡り2時間ちょっとで高知駅に着いたあとは庄子さんと合流。レンタカーを借りて(庄子さんが)、さらに2時間ほど車を走らせる(庄子さんが)。そしてスタート地点の四万十川の河口に到着した。

f:id:chihirokobayash:20171231180154j:plain河口に到着。安定の短パンの高橋さん(左)と庄子さん(右)

f:id:chihirokobayash:20171231160513j:plain岡山から四国に渡るとき眺める瀬戸大橋は最高。5億点。

f:id:chihirokobayash:20171231180201j:plain河口から5分くらいきたところ。品の良さを感じる。

川幅も広く穏やか。河口付近ですら水がきれいな気がする。さあいよいよ疾走調査開始だ、というところである問題が再浮上した。

千年村がない

四万十川流域には千年村がなかったのだ。チェックポイントがないというか、最終目的地は源流だけど、短期的にはどこにナビをセットすればいいか分からない。

千年村マップに表示がない理由を考えてみると、考えうる可能性は3つある。

①「古代に集落はあったけど倭名抄に登録されてなかった」

②「古代に集落はあって、倭名抄にも記載されてたけど、現在地を特定できなかった」

③「古代に集落がほとんどなかった」 

で、僕は歴史学者の木村礎(1924-2004)の論と実見した感想を合わせると、③の「古代に集落がほとんどなかった」可能性が高いんじゃないかと思っている。

「日本における村落形態論と起源論(1977) 」の中で木村は、中世に起源を持つ村落の最も大きな特徴として律令国家の衰退にともなう谷地の全面的開発」を挙げている。技術的には「谷地(=斜面)を水平な農耕地にすることが、古代の土木技術では達成できなかった」とも。木村によると棚田も戦国時代ぐらいから作れるようになったらしく、我々が斜面地に暮らすようになるには中世を待たねばならなかった。

で、実際に行ってみると、とにかく平地が少なかった。中流域はとくに狭くて、房総半島や利根川流域とはぜんぜん違う。一筆書きの浅い谷の中をひたすら進んでいるような、そんな感じだった。

 

四万十川に向かって伸びる参道

移動中の「チェックポイントない問題」は、結局ハンドルを握っていない人がgoogle mapで面白そうな集落を先回りして見つけそこに向かう方法に落ち着いたのだけど、最初はやり方も確立してなかったので、「とりあえず神社いくか」と、本流沿いの不破町満宮へ向かった。

本殿から鳥居を見ると向こうに四万十川が見える。

f:id:chihirokobayash:20171231180212j:plain不破八幡宮の参道から鳥居、その奥の河川を臨む

参道が四万十川に向かって直交して伸びる。

まさに上の写真の、参道が四万十川に向かうパターンが3日間の調査で多く見られた。というか、ほとんどこれ。

f:id:chihirokobayash:20180121225359j:plainこれは2日目に見た半家天満宮の本殿から。参道はつながっていないが、鳥居の先には四万十川沈下橋がフレーム・イン。

地井昭夫『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』では「海への信仰心」が命題の重要な要素として語られていたが、四万十川の近くでは「四万十川への信仰心」が生まれ、参道が川へと向かうののだろうか?この写真を見るとそんな気もしてくる。

そうこう考えてるうちに、最初の沈下橋に到着した。増水時に「沈下」することで水圧を受け流す、手摺のないカッコいい橋である。

f:id:chihirokobayash:20180101224310j:plain最初の沈下橋、佐田沈下橋。ここだけは観光客ばかりで、とても飛び込める感じじゃなかった

f:id:chihirokobayash:20180101231019j:plainかつての沈下橋の残骸が小さく見える。

 

だめだ。こんな感じで振り返っていたら、ブログがちっとも終わらない!

まとめというか考察というか、初日に採集した「集落のかたち」を、四万十川本流の関係から分類してみます。

 

四万十川本流近くに家がある問題

そもそも、大きな河川と集落の「直接的な関係」を見つけるのは難しい。生活・生産のための取水は支流(沢のスケール)だし、本流の近くは洪水の危険もある。しかし四万十川では本流の近くに家があった(しかもかっこいい家が多数!)

なぜだろうか?

奈文研の報告書によると、四万十川は江戸から戦前まで木材搬出のメインルートであり、大量の伐木を運び出すために河川が利用されていたという。河川が主要な交通インフラだったのなら、本流付近に住むメリットは大いにあるだろう。

一方で、洪水リスクを防ぐ工夫は、宅地のスケールで行われていた。あからさまに家が1段2段3段と高くなっているのだ。

四万十川の集落は、本流の近くに住みたいが故に、集落のかたちや家のあり方に工夫が生まれてきた」という仮説を立てて、具体例をみていこうと思う。

 

四万十川と集落形態のタイポロジー

その1「谷戸型」

四万十川との関係で集落のかたちを分類していくなら、その1つは「谷戸型」だろうか。本流に注ぐ沢によって作られた谷地を利用して、家屋と生産地が一つの谷の中にコンパクトに納まる環境セット。

「高瀬沈下橋」がある大字高瀬は、航空写真だとこんな感じ。ミニ・谷戸

f:id:chihirokobayash:20180103151629p:plain川、砂地、防風林、生産地、家、山の明快な土地利用。

家々のラインが本流に対して直交方向に並んでいて、家は一段二段と高くなっている。谷間に位置する水田は、増水時に水を受け入れる土地利用のリスクヘッジみたいな役割も果たせるのだろうか?

f:id:chihirokobayash:20180103151751j:plain山際にライン上に並ぶ民家、手前の水田、後ろの山。

f:id:chihirokobayash:20180103151814j:plain石垣で1段(駐車場と倉庫)2段(母屋)と段々のレベル構成。Y字路のようにアクセスする。母屋は道より2.5mくらい高い。水平を作るとともに洪水リスクを避けているのだろう!カッコイイ!

 

その2「本流沿い型

もうひとつは、河川と同じ向きに家の列が並び、川、生産地、山際にへばりつく家々、後ろの山までがバーコード状に連続する型。。これを「本流沿い型」と呼ぼう。断面ダイアグラムが描きやすそう。

 

西土佐岩間は、川-生産地-家屋-山がバーコード状になっているのは共通しているが、家屋が一列のラインではなく、ひな壇のように段々になっていた。

f:id:chihirokobayash:20180103181100p:plain緩斜面にひな壇状に家屋が並ぶ

f:id:chihirokobayash:20180103181139j:plain西日に照らされてかっこよすぎる家屋群

f:id:chihirokobayash:20180103181211j:plain秘境感と水着ガール。

f:id:chihirokobayash:20180103171036j:plain流線系の口屋内沈下橋 

その3「本流沿い型」+「谷戸型」

3つ目は「本流沿い型」と「谷戸型」のハイブリッド。本流に沿って生活の場があり、谷戸に生産の場がある型。

大字勝間は、本流に沿った民家があり、その後方には谷戸状の生産地(水田)を持つ。谷戸はクネクネしているため中に入ると視界が開けずクローズドな雰囲気が出ていた。

f:id:chihirokobayash:20180103155505p:plain本流と同じ向きに「本流沿い型」の家屋群+谷戸型の生産地

f:id:chihirokobayash:20180103155444j:plain谷戸の生産地から本流の方を見る。距離は近いけど視線は閉じられている。

 

大字西土佐中半も本流に沿った民家+谷戸状の生産地(水田)を持つ。山際に並ぶ民家はいずれも石垣の基壇で持ち上げられている。これがめちゃカッコいい。

f:id:chihirokobayash:20180103174947p:plain

f:id:chihirokobayash:20180103174453j:plainかっこいい民家。なぜかトトロ?がいる

f:id:chihirokobayash:20180103174408j:plainかっこいい民家2。3mほど高い位置に家屋。切妻平入のL型の平面。

f:id:chihirokobayash:20180103174428j:plainかっこいい民家3。四万十川のアニハウス。雨樋の落とし方がすごい。

今回の調査で見た民家は、四万十川全体を通してもほとんど切妻平入だった。最初は妻面から採光するためかと思っていたが、比較的施工が簡易な切妻を選択しているのかもしれないと思った。(もともと斜面に水平を作って敷地にしているので、平らなスペースは多くないから足場とか面倒そう) 

 

初日はこんな感じで終了。

四万十川の集落は神社も家も川の近くにあった。それは、生業や交通の利便性を抜きにしても「四万十川の見えるところに住みたい」というのが結構あったんじゃないか、という気がした。川は美しいし、大人も子供の遊び場になってる。物理的にも心理的にも近しさを感じた。

f:id:chihirokobayash:20180116203634j:plain飛び込んでるのは高橋さん

つづきます