2017年夏の調査からもうすぐ1年が経とうとしている。
いいまとめを作るぞ・・と思うと下書き状態で永遠に終わらないことに気づいた。とりあえず書き上げることが重要だ。
というわけで今回は後編。四万十川疾走調査の2日目と3日目、中流域から源流まで。
中半家沈下橋からスタート。ザッツ、消・失・点
真夏の調査はきついのが世の常。2015年の千年村プロジェクトの利根川調査は、連日37度の炎天下、コンビニを発見してはガリガリ君を買い求めていた。その点、今回はコンビニすら一軒も見つからなかった。けど、体が火照れば四万十川に飛び込めばいいのであった。
いつも海パン
高橋さんは川岸を見て、普段からどの程度水量が多いか見当をつけていた。住民の方に聞くと、一週間前の大雨でかなり水量が多いとのこと。高橋さんさすがのランドスケープネイティブだぜ。
さて、1日目で登場した家々は、石垣で基壇を作り、その上に家を構えることで、居住空間に必要な水平を作ると同時に同時に災害リスクも低減する、という工夫が見られた。この構えは四万十川全体を通しても一番多かった標準的なタイプだったのだが、中流域、上流域について言えば「斜面との向き合い方」がよりアクロバットになった家が次々と見られた。
というわけで今回は建築に注目して振り返ろうと思う。
屋根は「新しい土地」として発見される
2日目の最初に見た集落「西土佐半家」は、いままでの本流近くの村とは異なり、四万十川に対して標高が高く、例えるなら祖谷のように斜面に集落が展開していた。
四万十川が海抜48m、そこから100m近く上がって集落は海抜150m〜180mの高さに立地している。
西土佐半家の集落。奥に四万十川が見える。水田はなく、生産地はすべて畑作に利用されていた。
西土佐半家の集落には、屋根の上が物干しスペースになっている家があった。一段下がった家の屋根が上の宅地と近いレベルになるため、屋根が、まるで「あたらしい土地」として発見されていたのである。
よく乾きそうな物干しスペース。上に登りたかった。
別の集落では、「屋根上利用型」は、上の勾配屋根の場合もあれば、屋上がテラス、というか地盤のようになっているものもあった。下の写真。これもすごい。
フラットルーフの屋上でもあり、そして庭でもある(木が生えている)。すげー
擁壁はインテリア
西土佐半家の集落をさらに歩くと小屋が現れた。主屋から一段下がったところに建っているのだが、石積みの擁壁は、すでにある支持体として屋根を支えていた。おかげで新しく作る壁はもう片側だけで事足り、石積みの擁壁はワイルドなインテリアとして空間内に現れている。
建築雑誌で書くなら「内部壁仕上:既存石積み現し」とか
この、情緒でなく「使えるものは使う」千年村で言うところの「資源性」が高いこの感じにテンションが上がる。(資源性について詳しくは下のリンクからどうぞ)
ちなみにこのタイプの倉庫は他の集落にもあった。これは柱の高さが異なるタイプ。斜面対応建築のひとつのタイポロジーになりうるだろうか。
田んぼに埋まる家
四万十川中流域では、下流域によく見られた「四万十川本流に沿って家々が並ぶ」パタンではない集落が見られた。蛇行が急になっていることがその理由だろうか。
小野集落の航空写真。向かい側の「日の地」「陰地」という字名も面白い。
小野集落は四万十川のカーブに沿って緩やかな傾斜地に集落が展開している。塊村と散村ともいえない、つかず離れずな距離感で家々が散らばっていて、北斜面にも関わらず緩勾配のため日当たりはとてもよかった。
こんな感じの緩い勾配。空が開けている。
下から見ると美しいダンダンの石積み。
高低差は石積みで処理され、家は1段高い基壇の上に建っている。下から見ると1段高いのだが、ということは、上から見ると1段低くなるため、家がまるで田んぼに埋まっているように見える。
家々が半分、水田に埋まっているように見える。田ん没集落とでも名付けようか。
飛び出す人工地盤
斜面と家の関係で、最も力技だったものとして、斜面の上に地盤面ごと作ってしまう家々もあった。
建物は5つ。屋根だけの建物が2つ。スロープで基壇を駆け上がると、駐車場と物干しスペースがある。度重なる増築にスペースが足りなくなったのだろうか、石積みの基壇からコンクリートのスラブが跳ね出し、5本の柱で支えられている。階段の降りた先には水路が流れ、水田が広がっている。うーん。かっこいい。
飛び出す地盤もさることながら「群」としての建築がカッコいい。
一方で跳ね出しているタイプにはこういうやつもあった。これも凄い。
家を建てる「平地」はほとんどなかったのだろう。建物全体が跳ね出していて、2本の鉄骨柱が支えている。
まとめ:斜面に家を建てるということ
このように、四万十川流域では実に多様な「斜面と向き合った」家々が見られた。
『住宅特集』の敷地特集に載るレベルの、とにかく平地が少ない条件で、いかに斜面と向き合うかの工夫が見られたのが四万十川の民家だった。
家はいろいろなパターンがあったけど、方向性としては下の4つくらいに分類ができるだろう(あくまで今回の疾走調査で見たやつに限ります)。
(1)基壇型は、最も多く見られたパターン。斜面の上から見ると、水田や地面に埋まっているように見える
(2)省略型は、高低差を利用して壁や柱を省略するもの。小屋や物置で散見された
(3)屋根上利用型は、勾配屋根の上で洗濯物を干したり、屋上を庭にしちゃうもの
(4)はねだし型は、水平な土地を人工地盤として作り、斜面から跳ね出しているもの
これは「1)基壇型」すぎる小屋。
で、僕がこういう民家や小屋を見て、どうして感動するのか、ということを考えたときに、学部生のときに受けた大山顕さんの レクチャーの「ままならなさへのまなざし」という言葉が思い浮かんだ。以下は10+1のテキストから引用。
工場の形を決めているのは、熱や圧力や振動というままならなさだ。ジャンクションが複雑に立体交差するのも、土地収用の問題と交通の論理が決めていて意匠ではない。ぼくが興味を持つドボクはみんな「ままならなさ」と格闘していたのだ。
これが四万十の集落に場合、斜面地がゆえ、家を作りたいのに「平らな土地がない」という圧倒的な「ままならなさ」に向き合わないといけない。その状況で、そこに建てられる家のかたちを決定する論理は、やっぱりデザインでなく、地形や土地利用の論理、あるいは資源性の論理だったりする。その結果生まれた造形が語る、圧倒的な説得力というかリアリティに、「すごい」と感じるのだと思う。
話は飛んで、「フィールドワークの発見をいかに設計にフィードバックさせるか」というのがずっと言われているけれど、その発見を可視化・体系化することは別として、設計手法や「つくる」理論に変化させることは、ああムリだなぁ〜、と調査に行くたびに思ってしまう。
できるのは、圧倒的な「ままならなさ」への応答を目の当たりにして「自分の設計も、その切実さやリアリティをちゃんと持ったものでありたい」という気持ちを新たにすることだけである。もうひとつは、フィールドワークで見る家の、ままならなさへの折り合いの付け方が、意外にも笑えるものだったりすることで、それに元気が出るというか、シリアスでなくユーモラスでいこうという気持ちになるのである。
源流に行くまでの話を全然書いていないけど、おわり